[PR]子育てママさんへ:3年毎に15万円うけとれる保険?

Main
Map Inner Menu Message BBS
スナックでの楽しみ方の一例の目次に戻る

海老名市にあるのに厚木駅?
海老名市にあるのにどうして厚木駅なの?

小田急線とJR相模線の相互連絡の「厚木駅」の所在地は神奈川県海老名市中新田55。
地形的にも相模川を挟んで対岸だから地続きでもない。
それなのにどうして厚木駅なんだろう。
小田急線が開通する前に、先に開通したJR相模線で名前をつけたからだろうと推測できますね。
さてさて、どうなんでしょうか?

最初に駅名にしたのは神中鉄道(現相模鉄道、当時の相模鉄道は現JR相模線)
当時の「厚木」駅は違う場所で、現厚木駅は昔は違った駅名でした。

調べていく内に収拾がつかなくなりました。
一応、まとめてみましたが、分かりにくい文章でごめんない。

◆鉄道会社設立◆
<神中鉄道>
1917年(大正6年)12月2日(創立総会開催日)、県央の「厚木」と港の「横浜」間の路線を計画して
神中軌道(じんちゅうきどう、現相模鉄道)(株)として設立しました、しかし、相模川に橋を建
設する資金が調達できず、対岸(海老名市)の駅から建設が進められました。砂利の採取・販売を
主目的として、砂利輸送と旅客輸送を計画しました。
1907年(明治40年)に当時盛んだった養蚕業や製糸業を当てこみ瀬谷銀行を開業して頭取となった
小島政五郎氏が、神中軌道の初代社長でした。
「小島家は代々政五郎を名乗り、江戸中期から中瀬谷村村役を務め、更に明治・大正・昭和の
初期まで村行政に功績を残しました。」との記載もありました。(鎌倉古道より)
小島家は、代代の地主で、政五郎さんは、その時代の物価指数を研究して、一反当りの小作料の
値上げをしたことから小作争議の発端が瀬谷だったとの記録もありました。(大和市史研究より)
1919年(大正8年)6月10日に、社名が「神中鉄道(株)」に変更されます。

<相模鉄道>
1917年(大正6年)12月18日(創立総会開催日)、「茅ケ崎」を起点に「厚木」を経て「橋本」まで
の路線を計画して相模鉄道(株)として設立しました。「神中軌道」と同じく、砂利の採取・販売を
を主目的として、砂利輸送と旅客輸送を計画しました。「茅ヶ崎」からの建設を計画しました。
現在のJR相模線です。初代社長は、岡崎久次郎氏。
以下の検索できました。逝去された日から判断して、多分、同一人物だと思います。
(1)1900年(明治33年)日米商会(後の日米富士自転車)を設立し、自転車の輸入を手がける。
(2)大日本機械工業を創業し、第二次大戦中は軍の依頼に応じ、マキ自動車を製造販売した。
   茅ヶ崎に住んでいたらしい。
(3)衆議院議員 民政党 (1874年(明治7年)〜1942年(昭和17年)3月20逝去)
(4)「矢でも鉄砲でも」を著
(5)「日米商店三十五年史-裸一貫より光之村-岡崎久次郎奮闘回顧録-」発行:日米商会(昭和9年)

<小田原急行鉄道>
1923年(大正12年)5月1日に、「新宿」と「小田原」を結ぶ小田原急行鉄道(株)を設立しました。
現在の小田急電鉄(株)です。
初代社長は利光鶴松氏。利光氏は、鬼怒川水力電気株式会社(1910年設立)の社長であり、その資本を
基に鉄道事業を展開していました。
この利光氏を調べて見ると、色々と興味を引くことがたくさんありました。
●利光氏(1863年(文久3年)〜1945年(昭和20年))は、
 教員→弁護士→東京市会議員→衆議院議員→実業界の職暦の持ち主であること。熟年期に、鉄道事業に本格的に参画したこと。
1885年 21歳 五日市小学校の教員になる。
1887年 23歳 弁護士試験首位合格。事務所開業。
1890年 26歳 政治運動に参加。再興自由党に加盟。
1896年 32歳 東京市会議員当選。 
1898年 34歳 衆議院議員当選。
1899年 35歳 東京市街鉄道(現:東京都交通局)出願。顧問として加わる。
1905年 41歳 東京市街鉄道取締役。
1906年 42歳 東京市街鉄道、東京電気鉄道、東京電車鉄道合併。東京鉄道会社となる。 
1910年 46歳 鬼怒川水力電気創立。社長。 
1911年 47歳 東京鉄道会社を東京市が市有化(現在の東京都交通局へと続く)
      京成電車(現:京成電鉄)会長。千代田瓦斯(現:東京ガス)社長。 
1920年 56歳 東京高速鉄道(現:営団地下鉄銀座線渋谷〜新橋)申請し認可。 
1923年 59歳 小田原急行鉄道(現:小田急電鉄)創立。社長。 
1927年 63歳 小田原急行鉄道開通。 
1941年 77歳 小田原急行、鬼怒川水力電気を合併し小田急電鉄と改称後、社長を辞任。
1945年 81歳 逝去。
年表は、「日本成功研究所」の利光鶴松(小田急電鉄)を元に誤りを修正し転記
●小田急設立時から不運にみまわれたたこと。
(1)1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が発生。会社設立後数ヵ月後のことであり、
  混乱時からの出発でした。
(2)開業の2週間前の3月14日、蔵相・片岡直温が「東京渡辺銀行が破綻する」と失言。
  これがきっかけとなり「昭和の金融恐慌」が起こった。
  恐慌の中の開業となった。
  全線開通させた初期投資とアメリカから最新型の車両(電気車両)を輸入した経費から経営
   圧迫につながった。(なんとか鬼怒川水力電気の資本により乗り超えられた)
(3)1938年(昭和13年)4月に電力国家管理法が公布。
 「日本発送電」が設立され、すべての発電・配電が一元化されることになり、経営
  母体の鬼怒川水力電気が固定収入をなくしてしまった。
  鉄道収入だけで乗り越えなければならなくなった。借金の返済が課題に。

◆鉄道開通◆
最初に開業したのが相模鉄道でした。(蒸気機関)
1921年(大正10年)9月28日に「茅ヶ崎」〜「寒川」間を単線開通。
1926年(大正15年)4月1日に、「寒川」〜「倉見」間を単線開通。

次に、神中鉄道が開業します。(蒸気機関)
1926年(大正15年)5月12日に、「厚木」〜「二俣川」間を単線開通。
                           「厚木駅」は、開通と同時に開業した駅であり、相模鉄道や
                           小田原急行鉄道より、厚木付近までの開通が早かったため、まだ駅のなかった
                           厚木町(当時名称)の承諾を得て「厚木」と名付けた。
                          「当時の厚木駅」は「現在の厚木駅」より相模線で橋本に向かって400m寄った
                           位置にあったらしい。

2ヵ月後には、相模鉄道が厚木までを開通します。
1926年(大正15年)7月15日に、「倉見」〜「厚木」間を単線開通。
                           「厚木駅」は、神中鉄道と相模鉄道の共通駅となる。

その1年後、最後に開業したのが、小田原急行鉄道ですが、最初から全線開通をしました。
1927年(昭和2年)4月1日に、 「新宿」〜「小田原」間(小田原線)を一部単線で電化全線開通。
                           相模鉄道と神中鉄道の「厚木駅」には接続しておらず、単独駅の「河原口」を
                           設けた。本来の厚木には既に「厚木」が存在した為、「相模厚木」としました。
              和泉多摩川から多摩川まで引込線を引き多摩川の砂利の輸送もしていた。
1927年(昭和2年)10月15日に、全線複線で開通

神中鉄道が路線延長
1927年(昭和2年)5月31日に、「星川」〜「北程ケ谷」(現星川)間を単線開通。
1929年(昭和4年)2月14日に、「北程ケ谷」〜「西横浜」間を単線開通。
1929年(昭和4年)2月14日に、「厚木」から小田原急行鉄道「河原口」の隣に新駅「中新田口」
              を開業。汽車は小田原急行鉄道「河原口」への乗客の便のために無人駅の
             「中新田口」へ走った。「河原口」と「中新田口」は共通駅ではない。
小田原急行鉄道の新路線
1929年(昭和4年)4月1日に、 「大野」〜「片瀬江ノ島」間(江ノ島線)を開通。

相模鉄道が路線延長
1931年(昭和6年)4月29日に、 「厚木」〜「橋本」間を単線開通。
               これで、計画した「茅ヶ崎」〜「橋本」間の全線開通となる。
神中鉄道が路線延長
1931年(昭和6年)10月25日に、「西横浜」〜「平沼橋」間を単線開通
1933年(昭和8年)12月27日に、「平沼橋」〜「横浜」間を単線開通
              これで、計画した「厚木」〜「横浜」間の全線開通となる。

小田原急行鉄道が小田急電鉄に
1941年(昭和16年)3月1日に、  親会社に当たる鬼怒川水力電気を合併し、「小田急電鉄」を設立。
              取締役社長に利光鶴松が就任したが、小田急電鉄は、莫大な借金があり、
              それを処理できるのは、五島慶太氏の手腕に頼むしかないと利光鶴松氏が
              全てを彼に託し、五島慶太氏が後に社長となる。

神中鉄道が路線延長
1941年(昭和16年)11月25日に、「相模国分」〜「海老名」間を単線開通。
              現在の「海老名」駅ではない。今より約400m新宿寄りにあった。
              小田急電鉄は「海老名国分駅」は「海老名」より約400m新宿寄りにあり、
                            小田急電鉄は駅を移動せず、「海老名」にも停車しなかった。
              「海老名」は神中鉄道のみ停車。
              これに伴い「厚木」〜「相模国分」間の旅客運輸営業を廃止。
              この区間は貨物路線として継続。
              神中鉄道が小田急電鉄「相模厚木」へ海老名駅からガソリン
              気動車で乗り入れ開始。
              念願だった本来の厚木からの路線が達成される。
相模鉄道が新駅開設
1943年(昭和18年)2月に、  小田急電鉄「河原口駅」の隣に新駅を設置し、「河原口駅」が
              小田急電鉄と相模鉄道の共通駅となる。 

小田原急行鉄道が共通駅を開設
1943年(昭和18年)4月1日に、 小田急電鉄(東京急行電鉄)は「海老名国分」を廃止し「海老名」を開業。
              やっと相互接続駅となる。 

◆鉄道会社の編成◆
神中鉄道に五島慶太氏が資本参入
1939年(昭和11年)9月に、  神中鉄道に東京横浜電鉄(現:東急東横線)の社長五島慶太氏が資本参入。

小田原急行鉄道が帝都電鉄を合併
1940年(昭和15年)5月1日に、 帝都電鉄(現:京王井の頭線)を合併。
                           小田原急行鉄道と同じく鬼怒川水力電気系列鉄道会社の東京山手急行電鉄(後に、
              東京郊外鉄道に改称)が渋谷急行電気鉄道を合併し2年後に改称した鉄道会社が帝都電鉄。

相模鉄道に五島慶太氏が資本参入
1941年(昭和16年)6月30日に、相模鉄道に東京横浜電鉄(現:東急東横線)の社長五島慶太氏が資本参入。
              筆頭株主であった昭和産業社長の死去により、昭和産業が相模鉄道株を手放した。
小田急電鉄の合併
1942年(昭和17年)5月1日に、 京浜電気鉄道と小田急電鉄が東京横浜電鉄に合併され東京急行電鉄を設立。
              (戦時の陸上輸送統括為に陸上交通事業調整法に基づき国の指導により事業者整理が
              実施された。当時、京浜電気鉄道、小田急電鉄、東京横浜電鉄とも五島慶太氏だった。) 
              
1943年(昭和18年)4月1日に、東京急行電鉄(小田急電鉄)が神中鉄道に歩み寄って「海老名」を
              相互接続駅にしたのは両者が同資本となり利便性をよくするためです。

相模鉄道神中鉄道を合併
1943年(昭和18年)4月1日に、 相模鉄道が神中鉄道を合併。
                           相模鉄道の路線を相模線、神中鉄道の路線を一般には神中線、貨物線を厚木線と呼んだ。
              五島慶太氏の指導により合併し、鉄道事業の強化を狙った。
              東京急行電鉄(小田急電鉄)「相模厚木駅」までの直通運転廃止。
京王電気軌道の合併
1944年(昭和19年)5月31日に、 陸上交通事業調整法により、京王電気軌道(現:京王電鉄)も東京急行電鉄に統合される。

相模鉄道が国家買収
1944年(昭和19年)6月1日に、 陸運統制令により運輸通信省に国家買収され省線(国鉄)となる。
              東海道本線と中央本線間のバイパス路線としての軍需利用のため。
                           相模鉄道は本来の相模線をなくし、神中鉄道路線のみとなる。(逆転現象)

東京急行電鉄(小田急電鉄)相模厚木を改称
1944年(昭和19年)6月1日に、 「相模厚木」を「本厚木」に改称。

省線(国鉄)・東京急行電鉄(小田急電鉄)厚木を改称
1944年(昭和19年)6月1日に、 省線(国鉄)相模線・東京急行電鉄(小田急電鉄)は「河原口」を「厚木」に改称。 
                           東京急行電鉄(小田急電鉄)は改称するつもりはなかったが、省線(国鉄)が
              突然改称することが分かり、慌てて東京急行電鉄(小田急電鉄)も改称したらしい。
相模鉄道経営委託
1945年(昭和20年)6月1日に、 東京急行電鉄に経営委託。
              資金難から、筆頭株主の東京急行電鉄に営業を全て委託して乗り切る。
◆新たな展開◆
相模鉄道厚木直通運転再開
1946年(昭和21年)2月に、   「海老名」から東京急行電鉄(小田急電鉄)「本厚木」の運転再開。 

相模鉄道自営化
1947年(昭和22年)6月1日に、 東京急行電鉄への経営委託を解除、自社株も東京急行電鉄から取得。完全独立する。

小田急電鉄独立
1948年(昭和23年)6月1日に、 東京急行電鉄から分離し小田急電鉄株式会社として再発足。
              帝都線は京王帝都電鉄に譲渡。東京急行電鉄傘下の箱根登山鉄道と神奈川中央乗合
              自動車(現在の神奈川中央交通:東京急行電鉄傘下中に合併を重ねて大きくなった)を
              譲受(戦前は無関係)。江ノ島電鉄(戦前は無関係)の持株の一部も東京急行電鉄から譲受。
              戦後はGHQの指導のもとに施行された独占禁止法や過度経済力集中排除法により、
              東京急行電鉄内に小田急電鉄関係者を中心に合併前の鉄道会社の独立復元運動があった。
              1947年8月に五島慶太氏の公職追放を機に、同氏の影響が著しく低下したという背景が
              あり、合併前の鉄道会社が独立していくことになった。前年の相模鉄道の自営化も
              この流れのひとつとなっている。

相模鉄道本厚木への運転廃止
1964年(昭和39年)11月5日に、小田急電鉄「本厚木」への直通運転廃止。
              廃止理由は、小田急電鉄の運行が過密化し、相模鉄道の運行が難しくなったと
              いう事で、小田急電鉄から乗り入れの了解が得られなくなったとの事。
                           これにより、「海老名」と「横浜」間の運転となる。

相模鉄道厚木操車場新駅舎完成
1965年(昭和40年)1月23日に、厚木操車場新駅舎完成

1973年(昭和48年)12月21日に、(旧)海老名から約400m小田原寄りの現在の位置に相模鉄道、小田急電鉄相互接続の
              (新)海老名駅を開業。
JR相模線海老名を駅開業
1987年(昭和62年)3月21日に、「海老名駅」を開業。
              海老名市が、国鉄に要望し、陸橋を含む建設費の半額を海老名市が負担した。
              これで、3路線が「海老名」で接続された。

相模鉄道貨物列車運転休止
1998年(平成10年)9月30日に、厚木線からの臨時貨物列車の運転休止。
              これにより、厚木線は厚木駅横の車庫線の役目だけになる。
              朝に相模線車両が留まっているのを見かけます。
厚木駅.jpg 小田急厚木駅から見た厚木線。手前が相鉄車両、奥がJR相模線「厚木」ホーム
  2006年3月撮影

「ビナウォーク」開業
2002年(平成14年)4月19日に、海老名駅東口に複合型商業施設「ビナウォーク」開業。

◆相模鉄道の意外な株主◆
相模鉄道の筆頭株主は小田急電鉄です。
小田急電鉄以外にも東急電鉄の資本も入っています。
東証1部 上場年月:1949年5月

       平成17年3月31日現在
大株主           持株比率(%)
小田急電鉄          7.55
日本マスタートラスト信託銀行(信託口)4.70
三井住友銀行         4.27
横浜銀行           4.27
日本生命保険         3.72

主要取引銀行
日本政策投資銀行
三井住友銀行
横浜銀行
中央三井信託銀行
新生銀行 他

この説明についてをWebで調べると、ほぼ同一の文章につきあたります。
オリジナルを、そのまま転記したものと判断できますが、どれがオリジナルなの分かりません。

再起した五島慶太氏の東急グループが相模鉄道を小田急電鉄を通じて再買収の動きを起こす。
同じ横浜に接続しているので、横浜開発が重複してしまうので相模鉄道を再買収しようとす
るのは分るが、どうして小田急電鉄が絡んだのかがWebで調べた限りでは分らなかった。
東急グループは独立で戦った相手である。何か理由があるに違いない。理由にについては、
引き続き調べていきます。(小田急電鉄がどれほど株を取得できたのかも調べられなかった)
相模鉄道は関東圏の私鉄としては、複線化、電化が遅い鉄道会社でした。それは全て資金が
なかったためで、それがために、買収の的になりやすかったのではないでしょうか?
買収劇は、三井銀行(社長の佐藤喜一郎:横浜出身)の反対応援や融資もあり成功しなかった。
この結果、相模鉄道は横浜西口開発に力を注ぐことになった。
この時の経緯で、現在も筆頭株主は小田急電鉄であり、メインバンクが三井住友銀行です。

ちなみに、他社の鉄道会社が筆頭株主の会社は他に3社あります。(2005年10月時点)
新京成電鉄の筆頭株主:京成電鉄(34.1%)
山陽電鉄の筆頭株主:阪神電鉄(17.3%)
神戸電鉄の筆頭株主:阪急電鉄(27.7%)

◆各路線の1日乗降人員◆
小田急電鉄 (2004年度)(小田急電鉄ホームページより抜粋)
  海老名    131,850人 ( 7位/69駅中)
  厚木       18,271人  (52位/69駅中)
  本厚木    139,919人  ( 5位/69駅中)
  愛甲石田   44,627人  (23位/69駅中)

相模鉄道        (相模鉄道ホームページより抜粋)
      (2004年度) (2003年度) 
  海老名    116,524人   115,918人 (2位/18駅中)

JR相模線  (2004年度)(JR東日本ホームページより抜粋)
  海老名    7,761人
  厚木    5,354人

厚木駅は、思ったより乗降人員が多かったです。

◆各社の売上高◆(2006/06/08追加)
主な私鉄 売上高(円) (*1)
営業キロ数
(1) 東急電鉄 1兆3885億 100.1
(2) 近畿日本鉄道 9484億 573.7
(3) 名古屋鉄道 7402億 482.0
(4) 東武鉄道 6463億 463.3
(5) 小田急電鉄 6104億 120.5
(6) 阪急HD 4861億 146.5
(7) 西武鉄道 (*1) 4430億 176.6
(8) 京王電鉄 4382億 84.7
(9) 東京地下鉄 3573億 183.2
(10)西日本鉄道 3203億 115.9
(11)阪神電鉄 3132億 45.1
(12)京浜急行電鉄 3119億 87.0
(13)相模鉄道 3045億 35.9
(14)京阪電鉄 2030億 88.1
(15)京成電鉄 2260億 102.4
(16)南海電鉄 1904億 169.1
2006年3月期連結売上高 (*1)営業キロ数は05年3月末時点 (*2)05年9月末時点の業績予測 ◆こんな所に相模鉄道が◆ TSUTAYA本厚木駅前店  厚木駅前店は相模鉄道が経営しているのは意外と知られていない。  運営会社は株式会社イスト(相模鉄道の100%出資会社)です。 [豆知識に戻る] / [スナックの楽しみ方に戻る] / [メインに戻る]
参考にしたサイト
スナック ハーモニー
厚木市中町3丁目4−3
046−225−1398


Copyright (C) Snack HARMONY

[PR]三井住友海上きらめき生命:医療保険のご案内と資料請求はこちらから